板書のどこをノートに書き写すか。
これは生徒に完全に丸投げにした方がいい。
提出の義務を負わさず、自由にさせる。
ノート提出の義務がある先生の意図って、
「私の授業をちゃんと聞いていたかチェックする」
って意味だから、あまり意味がない。
話を戻すが、
どこを写すか写さないかは自由です!と言うと
生徒は以下の道順を通ることになります。
①写すのをサボる(ここが超重要)
②後になって写してないノートを見る(テスト前とか)
③ちゃんと写さないと自分が損すると気がつく
④損したくないからとりあえず全部写そうとする
⑤全部写すと疲れるから重要なところを選別しようとする
⑥情報の取捨選択をして重要なポイントに気がつくようになる
ノートを取ることが必須で、
頭ごなしにノートを取れ!と言うと生徒の「情報の取捨選択」をする能力が身につかない。
結果、文章のどこが重要かわからないから、文章が読めない子供が誕生する。
国語の先生がノート提出必須にしていたら私は嘲笑う方の意味で爆笑する。
読解能力や重要なところを探し出せる能力は国語の先生の仕事でもある。ノートの取り方を自由にすれば実は勝手に身につくのだ。
ノートの取り方は自由にさせよう。
そしたら最初は当然サボるに決まっているが、子供は写さないと自分が損すると思えばその後は人が変わったかのように授業に集中しノートにメモを取るような感覚になってくれる。
板書は全部写せ、ノート提出は必須、キレイなノートを作れと言う先生の生徒はこの道順を通る。
①とりあえずよくわかんないけど写す
②話を聞かなくても全部写すことを覚える
③それで褒められる
④余計に授業聞かなくなり、ノートを取るのが目的になる
⑤重要なポイントかそうでないかの選別ができなくなる
⑥文章の濃淡がわからないから文章を読めなくなる
なお、小学生には実証できていない。
中学生と高校生には有効。